九十九里に米軍は上陸するか?

広島・長崎に原爆が落ちなかったら、本土上陸決戦になるから、九十九里浜に米軍が殺到して、ノルマンディー上陸作戦とか硫黄島上陸作戦みたいに、九十九里が血の海になっただろうという説はよく聞く。
だが、実際にやるとしたら、米軍は九十九里を上陸ポイントに選んだだろうか?

九十九里は長い砂浜で、いかにも上陸作戦向けのような気がするが、実は海の難所でもある。九十九里は潮流が速く、サーファーとかが潮に流されて遭難しやすいポイントだったりする。鴨川あたりで流された人が、あっというまに銚子沖ぐらいまで行ってしまうんだそうだ。しかも沖に流されて。前に勤めてた会社の社長が若い頃サーファーで、九十九里で流されて死にそうな目にあったと言っていた。

上陸用舟艇は、サーフィンだの釣り船だのに比べたらずっと重いから、そうあっさりと流されはしないだろうが、喫水が深いちゃんとした船ではないので、潮の流れが速いと転覆するのもけっこう出るだろう。それに房総半島は意外と山だらけでろくな道がないので、直線距離でみたら東京に近いが、実際に大軍が進軍するには茨城県側に大きく迂回しないといけない。だから上陸ポイントとしてはあまりよろしくはない。

ではどこだったら上陸できるのかというと、江ノ島あたりが楽そうではあるが、ここは狭いので大軍が上陸するのは難しい。東京湾に入るには狭い浦賀水道を通らなければならない。また水深が浅い東京湾内は機雷を敷設しやすい。米軍が戦力的に圧倒的でも、水道通過時に特攻されたり、機雷封鎖されたりすることを考えると、あまり通りたくはないポイントだろう。
静岡県沿岸も遠州灘というぐらいだから潮流が速いし、東海から関東に入るには箱根超えしないといけないので、これまた不便。
してみると江戸前というのは海からの侵入者を阻みやすく、防御に適した地形だと言える。さすが徳川家康が本拠に選んだ土地だ。



米軍が上陸作戦を敢行したら、広島・長崎以上の死人が出ただろうと言われているが、東京を攻略するのに、集中して上陸するのに適した場所がなかなか無いことから、東京近辺で兵力を集中した決戦は行わず、米軍は東京からかなり離れたところに数箇所に分けて上陸して、ゆるゆると侵攻したかも知れない。

その場合、日本は全ての上陸予想ポイントを守れるだけの兵力は既に持っていなかったから、米軍は東京から遠い場所ならほぼ無抵抗で上陸。適当な空港を占領したら、物量にものをいわせて空襲し続ければ、東京まで陸軍を侵攻させなくとも、1年とたたずに日本は音を上げる。それなら米軍は、物資はたくさん使っても、自軍の人命はたいして消耗しなかっただろう。米軍はアメリカ人の人命が失われるのは嫌っても、日本人が空襲で死ぬ分には全く気にしなかっただろうから、東京近辺ではなく北か南の端の上陸なら、多分ほとんど自分達の人命損耗はなかったのではないだろうか。

そうなると原爆落としたから上陸作戦でアメリカ人の人命を損耗せずに済み、大変よろしかったという理由付けは根拠が薄くなる。別に原爆使わなくても、米軍の死者を抑えて勝つ手段はあるのだから。原爆落としたのは、戦争の早期終結だとか、アメリカ人の人命を惜しんだのではなく、単に実戦で使ってデータを取りたかっただけだろう。ソ連が北海道や東北を占領する心配なんてのも、実はほとんどなかった。なぜならソ連は強力な陸軍は持っていても、WWU当時は海軍力がほとんど無かったから、日本の海軍力がほとんど壊滅していても日本海を押し渡ることなどできない。それでも無理矢理渡ろうとしたら、アメリカの潜水艦が、日本を装ってソ連の輸送艦を沈めて回るぐらいのことはやっただろう。それが戦争というものだ。
ということで、アメリカ(久間)が言う原爆使用を正当化する理由なんて、みんなでっちあげ。



実際のところ、米軍の本土上陸作戦計画はどうだったのだろうかと調べると、日本侵攻全体をダウンフォール作戦とし、第一段階として九州南部に空港を確保するためのオリンピック作戦。第二段階として湘南と九十九里に上陸するコロネット作戦というのが計画されていたらしい。
米軍参謀本部内では、強固な抵抗が予想されるコロネット作戦は実施せず、空襲で屈服させる案を支持する方が多かったそうだが、マッカーサー陸軍元帥やニミッツ海軍元帥といった大物は、東京占領で早期に片を付ける方針だったため、ダウンフォール作戦は着々と進行していたらしい。

米軍の中でも普通の軍事的な妥当性で考える軍人は、日本は既に戦力を失っているから本土上陸も原爆も必要なく、ゆるゆると空襲で締め上げれば、お互い無駄に人命を落とすこともなく日本を降伏させられると考えていたが、マッカーサー級の政治も絡んだ考えかたをするレベルになってくると、また全然別の理屈で動いていたようだ。

本当に怖いのは軍人とか戦争よりも政治だなという気がした。